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江戸時代から21世紀への変換と挑戦とは?

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日本の歴史は、絶えず燃料と環境の変動に影響を受けてきました。

鎖国時代の江戸から現代の21世紀まで、燃料の供給と利用は日本の経済、文化、さらには社会そのものを形成してきました。

今回の記事では、江戸時代の森林伐採から21世紀のエネルギー危機まで、日本がどのように燃料と環境問題と向き合ってきたのか、その変遷と挑戦を辿ります!

目次

江戸時代の燃料危機とは?鎖国下での森林伐採と環境問題

江戸時代、一見すると環境に優しい循環型社会の姿が浮かび上がりますが、その背景には独自の燃料危機とそれに対する解決策が存在していました。

江戸時代、日本の人口は急激に増加し、これに伴い木材の消費が盛んとなりました。

木材は家を建てるための資材だけでなく、燃料としても使われ、特に都市部では大量の薪や木炭が必要でした。さらに、江戸の成長と共に、建築や寺社の建造活動も増加し、大量の木材を消費したのです。

この結果、近隣の山林から木材を伐採することが難しくなり、江戸や大坂などの大都市周辺の森林は伐採過多となりました。

木材の供給が追いつかなくなると、木材の価格が上昇し、都市部の生活者には燃料危機が訪れました・・・。

江戸時代の日本は、この燃料危機を乗り越えるために様々な工夫や策を実施したのです。

同時に、再利用の文化も根付いており、使い古しのものを新たな用途に再利用することで資源の無駄を減らす努力が行われました。例として、使用済みの木材や竹は日用品や工芸品に再利用され、また燃え残りの灰も肥料としての再利用が盛んでした。

旅人たちが宿泊する「木賃宿」という安宿では、燃料としての木材の提供が重要な役割を果たしていました。

しかし、木材を海外から輸入することはできない鎖国下の日本では、国内の森林が伐採され続けることとなったのです・・・。

この結果、文明の拡大に伴って燃料としての森林が急速に消費され、江戸中期には森林の衰退が始まっていました。

※参考:江戸時代に学ぶ循環型社会

日本の森林消失と文明の舞台変移とは?都から都への歴史的転換

天竜川流域の下伊那地域はかつて森林資源に恵まれていた地域です。

この地域の森林は、徳川家康が全国を統一した後、特に江戸(現在の東京)への木材供給の重要な源として位置づけられました。

事実、この地域の木材供給は、1600年代から始まり、1700年にはピークを迎えました。しかし、その後の数十年で供給量は激減し、江戸後期にはほとんど記録が見られなくなりました。

このような森林資源の過度な伐採は、天竜川流域だけでなく日本全体での現象でした。森林の伐採によって、土壌が流れ去るなどの地形の変動が起こり、それが大雨などの自然現象と相まって、さらに土地が荒れるという悪循環が生じました。

この状況は、天領として特別に管理されていた地域でさえ避けられなかったのです。

日本の森林消失の象徴的なエピソードとして、広重が描いた「東海道五十三次」の風景が挙げられます。

※参考:静岡市東海道広重美術館

これらの絵に描かれている風景は、幕末における日本列島の山々が伐採され、荒れ果てた様子を映し出しています。

そして、鎖国政策が終わり、外国人が日本にやってくると、彼らはこの日本の荒れた風景に驚きました。

森林の消失という事態は、実は日本の歴史の中で大きな転換期を迎える際に密接に関わってきました。

例えば、8世紀末の奈良盆地の森林が消失したことが、平城京から平安京への遷都の原因の一つとされています。また、17世紀初頭には、西日本の森林が大幅に減少し、それが徳川家康の江戸開府の背景にもなっています。

このように、日本の歴史の中で森林資源の有無やその管理が、都の移動や文明の発展に大きく影響を与えてきたことが伺えます。

黒船からエネルギー危機へ!日本の化石エネルギーとの邂逅と未来への挑戦とは?

1853年、アメリカのペリー提督が4隻の黒船とともに日本に到来しました。

この出来事は、日本の社会政治体制の転換を示すものとして記憶されていますが、それ以上に、日本文明にとって化石エネルギーとの出会い、すなわち邂逅の瞬間となったのです。

日本はその前まで、木を主要な燃料として用い、陸上では牛や馬を動力源とし、海上では風や潮流を用いて航行していました。

しかし、ペリーが持ち込んだ黒船は、石炭を燃料とする蒸気機関を動力源としており、2,500トン級の巨大な船でありました。この黒船の来航により、日本は化石エネルギー文明と接触しました。

日本の森林は既に消失の危機に瀕しており、木材の燃料としての役割は限界を迎えていました。そのため、黒船が持ち込んだ化石エネルギーは、日本にとってまさに救済の手段となりました。

日本は地下に石炭を持っており、明治時代には炭鉱が開発され、化学工業の発展の原動力として使われました。

20世紀に入ると、石油が新たなエネルギー源として台頭しました。石油は、移動する燃料や工業生産品の原料として非常に効率的でありました。

日本は石油を持っていなかったが、世界の産油国から買うことで、先進工業国への道を突き進みました。

しかし、21世紀になり、石油の供給に問題が生じてきました。需要の増加により、供給が追いつかなくなる日が近づいており、その結果として価格の高騰が予測されています。

この石油危機は、資源を持たない日本にとって大きな脅威となります。

このような背景から、21世紀の日本が生き残っていくためには、低炭素社会や物質循環の社会を築くことが不可欠です。

※参考:世界の動向から日本のエネルギー

総括

日本の歴史を通じて、燃料と環境は常にその発展と繁栄の中心に位置してきました。江戸時代の森林資源の消失は、当時の都市と文明の成長と直接的に関連していました。

その後の黒船の来航と化石エネルギーの導入は、日本の産業化と近代化への扉を開く鍵となりました。

しかし、21世紀において、化石燃料への依存と環境問題は、日本だけでなく世界全体にとっての課題となっています。

再生可能エネルギーや持続可能な社会構築への取り組みは、これからの日本の繁栄と生態系の保全のために不可欠です。

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